子守唄を、とリクエストしてから少し考えるように俯いた後、弾きはじめたのはきらきら星だった。
俺でもわかる、あの曲だ。
ドドソソララソ。
(小学校で、最初くらいに覚えたっけ。音楽のテストかなんかで一人ずつ弾かされた)
ソファの上で身体を折り曲げて、蓑虫のように頭から毛布をかぶった俺は、ふっと小学校の授業を思い出した。
眼を伏せた目蓋の裏に写真みたいにその画が浮かんだけれど、それ以上の思い出は連れてはこなかった。
意識は聴覚に集中して、紡がれていく音楽に耳を澄ませていたからだろう。
曲調は、あいつのオリジナルのアレンジで、ゆっくりと流れていく。
あいつの指先が音を生んで、俺の耳に溜められていく一音が、つながって曲になる。
(おそらのほしよ)
アルペジオ。
分解された和音は宇宙を行く流星。白銀の星の光。幾億もの星の瞬きは音の強弱と連動する。
(キラキラ、光る)
いつの間にか景色が変わって、まるで自分の身体が宇宙に浮いてる感覚だった。
本当の空は光が集まって眩しすぎる。
こんなに星が集まったんじゃ、眩しくて眠れもしないな。
ふと、そんなことを意識のどこかで考えていて、これじゃ駄目だ、と目蓋を開いて毛布から顔をのぞかせた。
「待った。……少しだけ、テンポ上げてくれる?次の音、待っちゃうからさ」
ストップをかけると、エコーだけを残してキラキラ星が止まる。
目を開くと同時に宇宙が消えて、もといた練習室に戻っていた。
あいつが見せる幻影、音と連動していた大宇宙。眠りたくて寝ようとしているのにその音と星星を見るのに夢中になってしまう。
次の音が欲しくて欲しくて、おとなしく眠っていられなくなる。
「余計、眠れなくなる」
その言葉に、あいつは少し笑ったみたいな表情で「いいよ」と返した。
「ちゃんと、眠れるように弾くよ」
言われた通り、曲が変調する。ゆったりと、しかし絶妙のタイミングで次々と音が溜まり曲に変わっていく。
さっきみたいな宇宙は浮かんでこなかった。
目蓋を閉じて、そこにあるのは暗闇だけになった。暗くなった世界に音だけが聞こえる。
思考を。意識を。全てを手放して、その音だけにすべてが傾いていく。
(ああ)
この暗闇は、寒くも恐くもない。不安は一つもない。
音に、搦めとられる。心地よく身体を揺すられているようだった。
世界の全てを閉じていって最後に残したピアノの音の向こうに、もう一つ、音がする。
だんだんと近づいてくるその音は、自分の心臓の鼓動だった。
(―――――眠い)
久しぶりに、その衝動がくる。
暗闇が、いっそう色濃く暗くなり、塗り潰すように身体が闇と同化していった。
曲を弾きながら、「ああ、眠ったな」と分かった。
空気感染みたいに、伝わってきた。
(空気の緊張の度合い、違う)
さっきまで、目を閉じてても 、閉じているだけなのだとなんとなく分かっていた。
(寝よう寝ようとして、身体を小さくしてたから)
寝ようと集中した身体は逆に緊張に似たものを呼んでいた。
今は、余分な力が抜けて、弛緩していた。
小さく折りたたんだ身体の手足が伸ばされているのに目聡く気づく。
ピアノの上に置かれたままのピアノカバーを外して、まるで蓑虫のようなその身体の上に掛ける。
(風邪引かないで。あったかくして寝てほしいのに)
常備されてるのは毛布一枚だけだ。
それ以上をここに置いたら居ついてしまうからと店長に禁止されている。
辺りを見回して、椅子の背もたれに掛けたままのジャケットを見つけると、それもカバーの上に掛ける。
「………おやすみなさい」
もう少し、寝顔を見ていたいと思ったけど、そうもいかない。
だけど、離れがたくて、代わりとばかりにこっそりと携帯のカメラで寝顔を撮っておく。
寝顔まで、かわいいのは反則だった。
(年上に、全然見えない)
練習室のドアを静かに開けて、照明を落とす。
慎重にドアを閉めて、預かっていた鍵で施錠する。確認に、ノブを動かしてから足音を立てないように廊下を歩く。
歩きながら、手にしたままの携帯を開いて、画像を呼び出す。
小さな画面の中の無防備な寝顔を眺める。それだけで、愛しくなってくる。
口角が上がり、自然と笑顔がもれていたことに本人は気づかないままだった。
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